太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)5月29日、
アメリカ軍によって横浜市中心部に対して行われた無差別爆撃。


仕事柄、さまざまなお客様とお話しする機会があります。
その中で、忘れられない話があります。
それは、横浜大空襲のときの記憶です。


「山手の空は、焼夷弾で真っ黒だったよ」

そう静かに語ってくださった言葉が、今でも印象に残っています。

空が黒く染まるほどの火の雨。
想像を超える光景だったのだと思います。


また、別の方からはこんなお話も伺いました。

「友達が機銃掃射で亡くなったんだよ」

何気ない日常の中に、突然入り込んでくる“死”。
それが現実だった時代です。


横浜の街には、今もその痕跡が残っているそうです。

黄金町の駅付近には、当時の機銃掃射の跡が高架橋に残っているといわれています。
そして駅の入り口からホームへ向かう階段。
その形状は、今もほとんど変わっていません。

当時、その高架橋はコンクリート造で、
周囲では珍しい“頑丈な建物”でした。

そのため、人だけでなく家畜を連れた近隣の方々が集まり、
避難場所のようになっていたそうです。

しかし、そこに爆弾が落ちた。

守られるはずの場所が、一瞬で奪われる。
そんな現実があったことを、忘れてはいけないと思います。


横浜大空襲とは少し異なりますが、
私が20歳頃、黄金町駅近くを流しているタクシーの運転手さんから聞いた話があります。

「大岡川、今は桜で綺麗だけどね。
戦後間もない頃は、川に遺体が浮かんでいるのが当たり前だったんだよ」

言葉にするのもつらい光景です。


でも、これは決して遠い国の話ではなく、
この横浜で実際に起きた出来事です。


私たちは今、平和な日常の中で暮らしています。

しかしその当たり前は、
過去の犠牲の上に成り立っているものでもあります。


だからこそ、こうした話は、
次の世代へと語り継いでいく必要があると感じています。

派手な言葉で伝える必要はありません。

ただ、事実として、
そして一人ひとりの記憶として、
静かに残していくことが大切なのだと思います。


日々の仕事の中で、
街の歴史に触れる機会があるというのは、
この仕事の一つの意味かもしれません。

横浜の街を歩くとき、
ほんの少しだけ、過去に思いを馳せてみる。

そんな時間も、大切にしていきたいと思います。